経済制裁という戦争

 経済制裁という言葉が頻繁に聞かれる。最近はあまりに頻繁すぎて、「ああそう。またか」という程度の反応になってしまっている。「経済制裁」というとなんとなく、戦争よりも柔らかい外交政策であるように勘違いをしやすく、発動には戦争ほどの抵抗感がなくなってしまっているのだろう。

 

 戦争は負担が大きく、世論、国際社会の賛同を得るにはハードルが高い。そこで「経済制裁」が多用されているのだ。一応、国際法上の違反や国際機構の決定違反との前提が唱えられているが、実際には必ずしも厳密ではない。

 しかしながら本質的に見ると「自国に都合の悪い国を困らせ、国力を削ぐことで、言うことを聞く国家にしよう。」ということでは「経済制裁」は「戦争」と変わらない。また、「経済制裁」が経済的に優位にある国にのみ通用する戦術であることは、軍事大国、核保有国にのみ許される「戦争」における軍事オプションと何ら変わらない。

 むしろ、広く相手国(敵国)国民を人質にしている点では、程度によっては、大量破壊兵器、無差別攻撃とイコールとも言えるだろう。

 さらに、視点を変えると経済制裁は回り回って発動側の経済の成長可能性を狭める(ブーメラン効果)こともあり、発動された側が貧困に陥り、紛争の始まりやテロの温床となることにも繋がる。

 

 「経済制裁」の唯一の利点は物理的な破壊行為、殺人行為を伴う戦争と違い、経済制裁を停止したと同時に復興が速いスピードで始まることぐらい。

 

 「経済制裁」は世界史的には19世紀に始まったとされている。日本でも「兵糧攻め」は「経済制裁」の一種といえ、おそらく、有史以来用いられている手法だろう。

 現在続けられている主な「経済制裁」は、国連によるものとして対イラン、対北朝鮮、個別独自の制裁として対ロシア、対キューバ、対ミャンマー、対ジンバブエ・・・・・

米露は開戦状態なのだ。

 

 世の中争いがないことが一番なのであるが、それが叶わないとするのであるならば、「戦争」「経済制裁」にかわる国際紛争の解決手段はあるのか、ないのか、まだ見つかっていないのか、あるいは世界のどこかでその芽ばえがあるのか。私はまだたどり着いていない。

 

 改めて「経済は武器」である。「経済制裁」とは「戦争」であり、経済制裁通知は「宣戦布告」経済制裁発動は「開戦」なのである。

 

2016.3