震災の絵が消える(茨城のあの時)

東日本大震災から5年。毎年訪れる福島、宮城の被災地を今年も走った。昨年よりは明らかに目に見える部分の復興は進み、同時に防波堤の建設、土地のかさ上げにより震災の傷跡は消えつつある。喜ばしい事実だが同時に過去の事実を正しく伝えることの必要性も強く感じた。

そこで今回は、過去の写真から鹿島港の被害を中心に茨城のあの時を紹介する。

茨城県も重大な被災地だったのだ。港の岸壁は割れ、道は割れてよじれ、テトラは漂流、漁船は沈没、台船は海岸の陸に上がり、コンテナは内陸に流されて転がり、大型クレーンも倒れた。

農家の屋根瓦が落ちてブルーシートに包まれた街並み、割れて液状化の泥に埋まった田んぼを横目に、ひび割れた利根川土手沿いの道を何とか進み、たどり着いた鹿島港で目にした光景は、言葉に出来ないほどのショックだった。

このページを書いているのは、2016年熊本地震から十日目、地震はまだ収まっていない。