暴れん坊将軍の観方 ああ面白いTV時代劇

 二年目に入って半年も経とうとしているコロナ禍、「時代劇チャンネル」を見る時間がたっぷりある。

 昭和生まれの単純思考の私は純粋に勧善懲悪に喝采すると同時に、時代考証のみならず夫々多くの突っ込みどころを探しては楽しんでいる。

今回はそんなところを突っ込みながら鑑賞する楽しみ方をいくつかご披露しよう。

対象は数あるシリーズ時代劇の中でも

「吉宗評判記 暴れん坊将軍」を中心にとりあげよう。

 

「暴れん坊将軍」

 某国のトップ、将軍様が親子二代にわたってあこがれ(ているのではないかといわれている)白馬に跨った徳川吉宗が波打ち際を疾走するあれだ。

このシリーズの面白い鑑賞方法と視点をいくつか紹介しましょう。

 

・貧乏旗本の次男坊 徳田新之助、長男ではないので家督を継ぐ必要もなく、ふらふらしているという設定だが、かなりお節介焼きだ。見方によってはお節介が過ぎて付きまといに近いストーカーと間違われるのではないかというような場合も時折見受けられる。

・「良かったら話してみないか?」知り合って間もない人間にだれが深刻な悩みを事細かに話すだろうか? ところがさすが上様の人間性か大半が徳田様ならと話してしまうのだ。

・徳田新之助が寝ている姿をほとんど見ない。め組に居候しているとすれば、どこの部屋で寝ているのだろうか。あるいは居候と言いながら毎日江戸城へ帰って寝るのであろうか? お風呂はめ組の連中と銭湯へ行くのであろうか。

・悪だくみ中の部屋にどこからともなく響く吉宗の声、絶対に拡声器を使っているはず。

また時折、障子を破って飛んでくる扇子。広がった扇子がどうやって入ったのだろう桟を折ったのだろうか?すごいことだ。

・「余の顔を見忘れたか!」クライマックスの導入部だ、「う、う、う、上様」となるのが定番だが、「さあどなたでしょう?」となった場合はどうなるのか?

「余だ、余だ」

「え、見覚えがありませんが」

「ええい、余だ、吉宗だ!」

「まさか、ご冗談を。」、、、、、、、、ずうっと続く。

・「余の顔を見忘れたか!」に正しく反応するパターンは大きく分けて二通りある。

一のパターン

「上様の名をかたる不届きものだ、皆の者、切り捨てい!」

このパターーンでは、徳田新之助を上様と認めず偽物と断じている。つまり、出会ってきた(「であえであえ」は「出てきて相手をしろ」という命令語。)多くの下侍(しもざむらい)との関係では、自分がこの場面では最上位の権力者であり、この偽物を討つことは吉宗への忠義と言える。従ってその命令を忠実に守り、偽物の吉宗に切りつけるべきだと下侍が考えるのは当然で、主従の関係はこれまで通りの状態が維持されている。

二のパターン

「ええい、もはやこれまで、上様だとてお手向かい致しますぞ、皆の者切り捨てい!」

このパターンになると、目の前の徳田新之助が上様であるということを動員した下侍の前で認めている。この段階では、自分よりはるかに身分の高いものがいるという事実に下侍みんなが気付いている。部長がえばって部下に命令を出しているところに社長が現れたようなものだ。部長が部下にし「社長をこの場で首にしろ」と言っているようなもの。

はたして下侍は盲目的に上様と分かっていて切りつけることが出来るであろうか?

躊躇する、あるいは掌を返したように吉宗に加勢するものがあっても良さそうなものだ。

さて、今回のシリーズはどのパターンであろうか?

・殺陣のシーンでは意外に障子、襖が破れていない。

・「成敗‼」それまで下侍たちは全て峰うちで倒していたが、最後の悪者は裁判にもかけずに切り殺すのだが、そこだけは配下の男女二人に任せる。自分は傷害罪程度で済ませ殺人罪は配下の者にということであろうか?首謀者としての殺人罪もまぬがれまい。

 

・暴れん坊将軍に限らずとかく時代劇の尾行は下手である。あまりにも近い、あんなこそこそ歩きを街中でしていたら、ほとんど不審者、バレバレだ。

 

それにしても、徳田新之助! 真面目に政(まつりごと)しろよ!

毎週毎週こんなに悪得商人とそれにつるむ大名や家老、江戸留守居役等がいる社会とは何事か。

 

お忍びで切って捨てて一件落着がまともな政治とは思えない。

 

そして、今日も時代劇チャンネルを漁る。

 

2021.6