カルロス・ゴーン会長 トップの旬

 ゴーン会長逮捕!

 世界の株式市場が動揺する程の衝撃が走る。

 報道の発端は有価証券報告書虚偽記載、後に私的流用等の疑いが加わるがその裏にルノーと日産の統合を想定しての日仏政府の思惑まで絡んだと推測する報道もあらわれて、事はとても単純な構造ではないようだ。全体像は見えてくるのか見えてこないのか。今回の告発に絡んだ人々は、正義と裏切り、自らと家族の人生の行く末に悩んだことだろう。このような事件にありがちな命をかけた犠牲者が出ないように願う。

 

 今回の事件に対して、ゴーン会長の金への執着をこれでもかとする報道がある。また、堰を切ったように経営の負の部分をクローズアップさせる報道がある。ありとあらゆることを、あることないことを綯交ぜにした報道がこれからも続くだろう。

それはそれで、勝手にやってくれ。

 

 この事件に遭遇して私が感じたことは、視点がずれるかもしれないが「トップの旬」ということだ。

 今回、日産の西川社長から「長すぎた」「権力が集中しすぎた」というコメントがあった。この種の経済事件やスキャンダルが生じるとよく聞かれるフレーズだが、「長いこと」「権力が集中すること」それ自体が問題であるわけではない。それが問題になる事態が生じるには実は本質的な原因があるのだ。

 

 組織(企業)は生き物である。そして、組織が生きている社会もまた生き物である。人生に幼児期、成長期、成熟期、熟年期、老齢期があり、さらに同時進行で病気やケガ、出産や育児、親族との別れ、等など様々な出来事が際限なく続くように、企業にも創業期、発展期、安定期、衰退期があり、同時進行で業績不振、労働争議、訴訟、取引先の倒産等などの事件がおきる。

 経営とは、会社を健全に存続させて次につなげること。(異論は多々あろうが)

 企業はその時その時で、最優先される課題が変化する。ある時は、業容の拡大が最優先課題であり、ある時は不採算部門の整理でコアコンピタンス経営へのシフトであり、ある時は財務体質の改善、ある時はコンプライアンスの強化、・・・・・・。

経営とはカメレオンのように次々と変化する課題、泉のように湧き出す問題に対応することであり、企業のトップはあまり短期での交代はかえって問題であるが、その時点での中期的課題対応に相応しい人物が就任することが望ましい。

 

 財務畑、営業畑、技術畑出身者、リストラ、マーケティング、企業買収等の得意なプロの経営者等など、夫々の能力は企業のその時の課題要求とマッチしたときにはじめて最も効果を発揮するが、企業の課題要求が変化した場合その能力が必要なくなる、あるいはかえって企業の運営に支障となるケースも多々あるのだ。

 

 創業社長の中小企業の場合などは、社長が生きている限り社長の人格≒会社の人格、会社の課題≒社長の課題というところがあり、また、創業社長が全責任を取ることもあって大きな問題にはならないが、長い歴史を持った企業のトップの場合は常に企業の課題の変化とトップの能力のマッチングが会社の健全な存続において重要な要件となるのだ。

 

 日産自動車の場合は、ゴーン社長が就任した時点での必要とされたトップの資質はまさにゴーン社長そのものであったのだろう。細かくは当然色々問題があったであろうが、瀕死の日産を立て直すことが出来たのはゴーン会長だったからであろう。しかし、おそらくある時期から日産の置かれた社会的要件とゴーン会長の経営手法はミスマッチをおこし始めたのではないだろうか。そのミスマッチが大きくなるにつれ今回の騒動の火種が蓄積されていたのだろうと思う。

 19年間の時とは、ゴーン社長の最大の功績時代を肌で感じていない社員がかなりの人数に上っていることを示す。ポストゴーン(ゴーン会長と違う能力を持つ)がトップに座るべき時期はとうに来ていたのかもしれない。

 

 企業は窮地を救った功労者だからといって、その後もなんでも信頼し任すというのは間違いだ。その時のその果たした役割はその時点で終わり。自分の役割の終わりを自覚し身を引く勇気があるかないかが名経営者であるかどうかを分けるが、人はなかなか出来ない。

 特に後継者はなかなか育ちにくいもの。結果としていつまでもその立場にしがみついているように誤解されたりもする。

 一方往々にして、後継者が見つからないことを嘆く本人は、日常口で言うほど後継者を育てないものだ。むしろ、本当の後継者をつぶし、自分を崇めるものだけを、感覚的には下僕として処遇しがちなのだ。

 

 企業トップの旬は、その企業が置かれた状態での課題と解決能力のタイプがマッチしている期間だけなのだ。その能力が全てに役に立つとは限らない。会社と自分を客観的に観察できるものだけがそれに気づくことが出来るだろう。

 

 それは出来ないこととはわかっているが、もしも、ゴーン会長が日産をV字回復させてしかるべき時に自ら退いていたら、伝説の経営者のままでかたり継がれていただろう。

 ゴーン会長のみに19年間にわたって頼りきった周りも社会も、会社と経営、賞賛と従、・・・・・いろいろ考えてみよう。

 

 それにしても、内部通報と司法取引、経営者にしてみれば例えは悪いが社内にテロの爆弾が仕掛けられているようなものではないか。

司法取引は欧米に倣って導入されたものだが、カトリックの免罪符のようなもの。自分が逃れるための「裏切り」を法的に保証するとは日本の美学にはフィットしない。

文化、社会システムも欧米化が進む。これが、進化か?

 

2018.11