2020年 コロナ禍のリスクマネジメント

 2020年の「言わせてもらえば」、5月で記載が途絶えてほぼ10カ月を経過した。この間世界中に感染し、今も変異を続けながら拡大している「コロナ禍」はこの世のあらゆる価値観に影響を与えている。

 そんな中で無謀にも始めた新事業(店舗)の立ち上げなどが重なり整理がつか無いまま時を過ごした関係で筆が進まず年が明け桜が咲いた。まだ本質を十分に掘り下げるまでには至っていないが、この間次々に起こったコロナ事象に思ったことをリスクマネジメントの観点から語ってみよう。

 

 1昨年末より海外から聞こえてきた新形コロナウィルスは昨年3月29日の志村けんさんの突然の死によって国内がにわかに緊張感が高まった。本稿は志村健さんの追悼、一周忌寄稿とも言っていいだろう。

 

◎リスクマネジメントから見た本質と検証

 「しん研究所」の本来テーマは本質の追求。それはどこまで掘り下げてもそこに底は無く、どれ程拡げても果てが無いテーマだが、リスクマネジメントに関する過去の講演の骨子から今回の新型コロナを見てみる。

 

・リスクは遠くで把握する

 まず真っ先に必要なのが情報に対する感性と想像力だ。自ら(個人でも組織でも集団でも国家でも)の健全な存続を脅かすものはすべてがリスクだ。そのようなものはいつどこに潜んでいるかわからない。そしてそれは気付かないうちに確実に身近に迫っているかもしれない。

 リスクは出来るだけ早く、出来るだけ遠くにあるうちにその存在とリスクの内容を把握することが大切だ。

 今回のことでは、まだ中国一地域の内での情報にとどまっていた時点でその存在と事象の詳細を把握することが極めて肝心だが、おそらく日本政府は(というより行政は)かなり早い時期に把握は出来ていたであろう。

 しかしながらリスクマネジメントには、さらに大切なことがある、その事象が自らの健全な存続のリスクであるということを具体的に結びつけて考えることが出来る想像力だ。

 それは個人にとどまらず、今回の場合は自治体、政府にそれが初期の時点であったかということだ。「ここまでなるとは思わなかった。」「想像外であった。」それは、言い訳と同情をかう言葉であるが、その言葉は何の解決にもならない。言い換えると、「自分の能力が思い至らなかった。」「想像する能力が欠如していた。」ということなのである。ただ単に「聞いていた。」「聞いたことがある。」はリスクを把握したことにはならない。どのように影響し、そしてどのようなインパクトが考えられるのか? 想像することから逃げて途中で思考を停止し、最悪のインパクトまでたどり着かないケースが多い。人は希望的(根拠のない楽観)にとらえがちである。

 最近の「変異種」について、政府高官から「まだ感染者は見つかっていないので感染拡大はしていないと思われる。」というコメントが幾度となく聞かれた。「はあ?」である。驚くべき想像力である。感染が拡大確認されてはじめておっとり刀で、いや刀も持たずに飛び出して右往左往しているような想像力は、最悪のリスクマネジメントのスタートだ。

 例えがいいかどうかわからないが、CIA、KGB、MI6他各国が持っている秘密組織の主たる役割は拳銃バンバン人殺しではなく情報収集、まさに「リスクは遠くで把握する」そのものの活動である。

 

・リスクには近づくな

 把握できたリスクにたいしては情報収集は続けながらもできるだけ近づかないことが肝心だ。また、近づかせないことも同時に重要だ。

 今回リスクを早期に遠くに把握できたとした場合真っ先に行うべきは、緊急強力な渡航、出入国制限であっただろう。この措置が遅れたことは、自分からリスクに近付いて行った、リスクを身近に引き寄せたということである。

 

・リスクを起こすな

  リスクには種があり、種が芽吹いてリスクが現実のものとなる。今回は、コロナが体内に入っても素通りしてしまう場合や発病しない場合も多い。それが感染拡大、発病、重篤化する可能性を世にばらまくことになるので、自粛、基礎疾患を持つ方への注意喚起、高齢者への注意喚起、自己免疫力の向上を言葉として唱えるだけではなく、もっと積極的な具体的対策が必要だ。それが次の項、「りすくから逃げるな」につながる。

 

・リスクから逃げるな

 とうとうコロナが国内に蔓延し始めたとき、人、行政、政治家はどう考えたか。

もちろん、リスクを真剣にとらえ真面目に警鐘を鳴らす人、忠実に防御策を講じた人はいたが、「コロナはただの風邪だ。」「経済への影響が。」といって真剣に向き合おうとしなかった方々も政官財界にも多々いた。

 これは、現実にリスクの当事者となっている段階においても尚、それから「逃げよう」とする場合によくみられる人間のある意味本来的に持っている意識であるのだが、時にはリスクを取り返しのないほどに増幅させる言動だ。

 いよいよ逃げられなくなったなら、早めに真正面から立ち向かわなければならない。そのタイミングを外さないのも想像力であり一歩踏み出す勇気だ。

今回の場合、

・海外との往来の遮断。

・検査の大規模実施。

・各地の国公立病院をコロナ専用病院とし、中症者、重傷者を全員収容。

・東京ドームや東京ビッグサイト、幕張メッセ等全国の大型施設に医療体制を集中させ、陽性者は無症状者を含めて全員収容経過観察。(ホテルや自宅での自主隔離は最悪ではないか)

・前項対象者以外は、経済の落ち込みを薄めるべく日常の活動をする。

・治療薬、ワクチンの発見、開発、勇気ある承認。

・挑戦への称賛、責任の軽減。

等が、最も経済へのダメージが少なくコロナ感染を常態としてコントロール下に置くことが出来る手法ではなかったか。

「何人以上の会食を控える。」「夜八時以降は店を閉める。」「マスク、手洗いの徹底」などを唱えることは大切ではないとは言わないが、政府が力の大半をそれらを唱えるだけに使っていることに「本質のズレ」を感じてしまうのは私だけでは無いだろう。

 

 「結果を見てからでは何とでもいえる。」

 その通りである。だが、結果を見てからも誤ったリスクマネジメントが続いているように見えてならないので、遅きに失したかもしれないがあえて「叫ぶ!」

リスクマネジメントの本質をとらえよ!

 

2021.3