志村~! バカー! この!(志村けんさん追悼)

 長さんが怒っている。あの頃の舞台と同じように。

 志村は茶化すようにすまなそうに逃げる。

 

 2020年3月29日 志村けんさんが新型コロナウィルスによる肺炎で長さんのところへ逝った。

 我々の中高大時代はグループサウンズとドリフの時代(特に一番は8時だよ全員集合)。

 注さんの後で志村が入ったドリフ。それまでは、リーダー長さん、笑いの柱がかとちゃん、仲本さん、ブーさん、注さんの3人が名わき役といった感じだったが、笑いの柱がかとちゃんとしむけんの2本となって、1+1=5~の笑いになった。

 悪がきを何とか束ねようとする長さんと、夫々の悪ガキとの掛け合い、かとちゃんけんちゃんコンビのパフォーマンスは今になって振り返ると「本当に笑う」ということの一つの典型的な笑いはあれだったかと思う。何度も腹を抱えた。

 西瓜や牛乳を無駄にする姿、いかりや先生に対する無礼ないたずら、下ネタコントは、PTAという健全でなければならない集団から「子供の教育に良くない。」という批判も多く出たが、PTの中の個人には本当は面白いと思っていた人もたくさんいただろう。面白くて笑いたくて観たいのだがそれを認めてはいけないという妙な正義感とのジレンマに悩んでいたのではないだろうか。だからこそ色々な批判もそれ以上の拡がりを見せなかったのではないだろうか。

 

 やったら面白いだろうな、本当にやってみたいな、でもしちゃいけないんだ。

 人は社会の中で色々な悪さを思い切りやってみたい願望が底辺にあるが、社会の一員として正しく、GoodCitizenでいたい、いなければいけないと自分を制御している。

 ドリフにはそんな底辺にある人間の本来的な願望を自分に変わって表現してくれているような感じを覚えたのだろうと当時の自分を振り返って納得する。

 

 8時だよ全員集合は1969年10月から1985年9月まで16年間(803回)続いた。劇場でのコントはやり尽くしたということでその後はスタジオ収録での「〇〇〇だよ全員集合」(これもまた面白かった)に移っていった。

 この劇場収録地の中で最も多かったのが渋谷公会堂(136回)続いて文京公会堂(78回)日本青年館(65回)入間市民会館(45回)・・・とあるが、8番目に多かったのが取手市民会館(31回)だ。

 私の自宅からも歩いていける距離にあるがまだ当時のままに健在である。初めに取手に移り住んだ時に、北海道で観ていた8時だよ全員集合の画面に出ていた取手市民会館とはここかと感激したものだ。同時に内地の東京周辺は皆大都会かと思っていたがそうでもないことにも驚いた。

 

 13歳~29歳まで、何の心配もなく食べることと遊ぶこと笑うことだけに楽しみを感じていた中学時代、将来への不安と希望が交錯した高校時代、巨大な都会でのカルチャーショックを感じながら変化していった大学時代、故郷には帰れないと悟って働き始め年貢を納めて結婚し取手に住むまで、人生の最も多感で変化の激しい時期に毎週そこにいたのだから、ドリフは知らず知らず家族になっていたのだろう。そして最後に住んだのが8時だよ全員集合の収録場所取手市民会館のある町。しむけんに言わせれば「カラスの勝手でしょ~」と言いそうだがまさに勝手に縁があったのだと思う。

 それだけに、今回のしむけんの逝去は、こちらの覚悟が出来ない原因とスピードだっただけに残念だ。

 

 こんな理不尽な別れが世界各地で沢山起こっている。人類の叡智、忍耐、工夫、思いやり、昨年はOne Teamが勝利を導いた今年の今はOne Earthで窮地を乗り切ろう。

 

 けんちゃん。人類は必ず勝つよ! だいじょうぶだあ ‼

 ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 加藤さん、高木さん、仲本さん体に気をつけて長生きしてくださいよ。長さんに叱られないように。

 

2020.4